2010年01月19日
「俺たちは天使だ!」とモンテカルロ・ラリー
最近沖雅也さんのマイ・ブームが復活して、DVDやらCSやらを見まくりだったりするわけですが(^^;)、その中の「俺たちは天使だ!」の中でちょっと気になるところが出てきて、調べ物をしてました。
時代劇からドタキャンでできあがったコメディー「俺たちは天使だ!」ですが、準備期間が短いながらも元々の人物設定というのがあって、キャプテン(沖さん)は探偵の前は刑事、ここまではドラマでも紹介されています。実はキャプテンの最終学歴という設定もあり、それがなんととある大学の自動車部に所属、ということになっています。(ちなみに北海道出身、なんて嬉しい設定もあるんですけどね(^^)v)
大学の自動車部、というと、大概はラリーをやっています。
時代劇からドタキャンでできあがったコメディー「俺たちは天使だ!」ですが、準備期間が短いながらも元々の人物設定というのがあって、キャプテン(沖さん)は探偵の前は刑事、ここまではドラマでも紹介されています。実はキャプテンの最終学歴という設定もあり、それがなんととある大学の自動車部に所属、ということになっています。(ちなみに北海道出身、なんて嬉しい設定もあるんですけどね(^^)v)
大学の自動車部、というと、大概はラリーをやっています。
実はキャプテンが自動車部の主将(まさにキャプテン)だった頃、ナビさん(渡辺篤史さん)はキャプテンが行きつけの自動車整備工場で働いていて、自動車部の整備士兼ナビゲーターとして出入りしていたらしい。
自動車部には新入生のジュン(神田正輝さん)がいて、二人は共に文学部所属。
そして、藤波弁護士(小野寺昭さん)が先代キャプテンで、こちらは法科所属…
だから変な話、設定上この4人はラリー経験がある、と考えられるわけです。
実際のところドラマ上はここまでの設定は生かされてなくて、名残として残っているのは、
「ナビ(NAVI)」という呼び名
ナビさんの夢がレースで自分の整備した車を優勝させること
…くらいです。
しかも設定上ではナビさんの夢はル・マンでの優勝だったりしますが、ドラマでは「モンテカルロ・ラリー出場」って言ってます。(第16話「運が良ければキャンピング」にて)
あと、「キャプテン」という呼び名も自動車部時代から引っ張っていると考えられますし、ジュンは運転が得意(な感じがする)というのもその設定を引っ張っているのかもしれません。
そんなこんなで、「俺たちは天使だ!」というドラマは、軽くラリーと関わりのある妙なドラマだったりするわけです。
そのナビさん。今はレギュレーション上ドライバーと交代して運転することが出来るため、コ・ドライバー(co-driver、副ドライバー)という言い方が一般的です。ナビさんじゃなく「コドラさん」…なんかおかしすぎる(_ _;)。ナビさんで良かった(笑)。
まぁそれはどうでも良くて(^^;)、その夢の達成のためのラリーカーが第6話「運が良ければ痛み分け」の回で登場します。
ドラマ冒頭にナビさん自身から仕様の説明があって、
ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト(DOHC)
45mmのウエーバー・ツイン・キャブレター
NASAのロケットエンジン(笑)
まぁ、最後のはどうかと思いますが(笑)、ナビさんが愛情込めてつくっていることには間違いないです。ただし、ビンボー探偵事務所の給料と、今自分が働いている整備工場の給料を合わせても理想の資金には足りなくて、とても競技できる状態の車ではありません(^^;)。
この車にラリーのスポンサーよろしく、色んなステッカーが貼ってあります。
ESSO・Canon・KENT(煙草)という多分番組のスポンサーと思われる本物のステッカーに混じって、
「STATS PADDY HOPKIRK」
…と書いたステッカーが見えています。
このステッカーの形状がラリーでおなじみのかたちのヤツだったので、ちょっと気になったのです。

↑こういうの。
これってラリーをご存じの方ならおなじみなんですが、この形のものの多くはラリーの大会名を示すロゴだったりするんですね。
モンテカルロ・ラリーになんか関係があるのかな…ラリーファンとしては気にならずにはいられません。
…で、調べてみることに。
とにかく、日本語読みでどう読むのかがわからない(^^;)。しょうがないのでそのまま検索サイトに入力ですよ。
すると…まず出てきたのは人名のようです。色々調べたんですが、日本語ではこの人名の詳しい説明が無く、ちょこちょこした情報を色々つなぎ合わせてわかったのは、
PADDY HOPKIRKという人はミニ・クーパーを駆って1964年にモンテカルロ・ラリーを優勝した
…ってことなんですよね。
改めてWikipedia(英語版)。
Paddy Hopkirk - Wikipedia, the free encyclopedia(英語)
http://en.wikipedia.org/wiki/Paddy_Hopkirk
おそらくはミニに詳しい方ならわかる方なんでしょうね。
この功績のためか、ミニのパーツの一部に彼の名前が冠されたものがあるようです。
おかげで日本語もわかりました。パディ・ホプカーク(もしくはホップカーク)と読むようです。
こんなサイトも参考にしてみました。
MINI.jp(ミニの日本語版HP)
http://www.mini.jp/mini.html
さすが、ミニのHP。当時のモンテカルロのことも書いています。
で、このホプカーク氏。いまだご健在のようで、ミニの50周年の企画かなんかで新しい車で改めてモンテを走る、っていう動画に出ていらっしゃいます。
アクセスが集中するのか、時々再生されません。その時はあとで再生してみてください。
同じミニに乗っているもう一人の方は、ラウノ・アルトネン。1967年の優勝者だそうです。
私のラリーの知識、っていうのはラリー・ジャパンが始まる2004年のちょっと前くらいからで、1960年代となると全くわかりません(;^_^A。
「俺たちは天使だ!」というのは1979年の作品です。その時は例えば当時のラリーファンやミニのファンの方に有名なことだったんでしょうかね?まわりに貼ってあるステッカーがガチなので、おそらくそのホプカークのステッカーも本物だとは思うのですが、スタッフの中に詳しい人がいたのかなぁ?
ステッカー自体のでどころまでは調べることは出来ませんでしたが、何かしらのこだわりがあって貼られたものなんでしょうね。
ナビさんの夢…ステッカー1枚ですが、私にはなんかそれが現実にも見えてくる1枚です。どうでも良いことかもしれませんが、ラリーファンであり俺天のファンでもある私としてはこれほど嬉しいことはないのです。
まぁ当時は世界的なラリー大会が日本で行われるなんて夢みたいな話だったでしょうがね。でも今1979年版と同様の「俺天」がつくられたら、ラリー・ジャパン出場が夢になるのかなぁ?
そうそう、そのモンテカルロ・ラリー。今年もインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(Intercontinental Rally Challenge、IRC)のシリーズ初戦として1月18日~23日に行われます…あ、始まってる(^^;)
公式HP(英語)
ACM >> Automobile Club de Monaco
http://www.acm.mc/ramc/ramc_main.php?page=2010/presentation_2010.php&lng=en
IRCのHPではリザルト・動画も楽しめますよ。
IRC Intercontinental Rally Challenge(英語)
http://www.ircseries.com/html/Default.asp
自動車部には新入生のジュン(神田正輝さん)がいて、二人は共に文学部所属。
そして、藤波弁護士(小野寺昭さん)が先代キャプテンで、こちらは法科所属…
だから変な話、設定上この4人はラリー経験がある、と考えられるわけです。
実際のところドラマ上はここまでの設定は生かされてなくて、名残として残っているのは、
「ナビ(NAVI)」という呼び名
ナビさんの夢がレースで自分の整備した車を優勝させること
…くらいです。
しかも設定上ではナビさんの夢はル・マンでの優勝だったりしますが、ドラマでは「モンテカルロ・ラリー出場」って言ってます。(第16話「運が良ければキャンピング」にて)
あと、「キャプテン」という呼び名も自動車部時代から引っ張っていると考えられますし、ジュンは運転が得意(な感じがする)というのもその設定を引っ張っているのかもしれません。
そんなこんなで、「俺たちは天使だ!」というドラマは、軽くラリーと関わりのある妙なドラマだったりするわけです。
そのナビさん。今はレギュレーション上ドライバーと交代して運転することが出来るため、コ・ドライバー(co-driver、副ドライバー)という言い方が一般的です。ナビさんじゃなく「コドラさん」…なんかおかしすぎる(_ _;)。ナビさんで良かった(笑)。
まぁそれはどうでも良くて(^^;)、その夢の達成のためのラリーカーが第6話「運が良ければ痛み分け」の回で登場します。
ドラマ冒頭にナビさん自身から仕様の説明があって、
ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト(DOHC)
45mmのウエーバー・ツイン・キャブレター
NASAのロケットエンジン(笑)
まぁ、最後のはどうかと思いますが(笑)、ナビさんが愛情込めてつくっていることには間違いないです。ただし、ビンボー探偵事務所の給料と、今自分が働いている整備工場の給料を合わせても理想の資金には足りなくて、とても競技できる状態の車ではありません(^^;)。
この車にラリーのスポンサーよろしく、色んなステッカーが貼ってあります。
ESSO・Canon・KENT(煙草)という多分番組のスポンサーと思われる本物のステッカーに混じって、
「STATS PADDY HOPKIRK」
…と書いたステッカーが見えています。
このステッカーの形状がラリーでおなじみのかたちのヤツだったので、ちょっと気になったのです。

↑こういうの。
これってラリーをご存じの方ならおなじみなんですが、この形のものの多くはラリーの大会名を示すロゴだったりするんですね。
モンテカルロ・ラリーになんか関係があるのかな…ラリーファンとしては気にならずにはいられません。
…で、調べてみることに。
とにかく、日本語読みでどう読むのかがわからない(^^;)。しょうがないのでそのまま検索サイトに入力ですよ。
すると…まず出てきたのは人名のようです。色々調べたんですが、日本語ではこの人名の詳しい説明が無く、ちょこちょこした情報を色々つなぎ合わせてわかったのは、
PADDY HOPKIRKという人はミニ・クーパーを駆って1964年にモンテカルロ・ラリーを優勝した
…ってことなんですよね。
改めてWikipedia(英語版)。
Paddy Hopkirk - Wikipedia, the free encyclopedia(英語)
http://en.wikipedia.org/wiki/Paddy_Hopkirk
おそらくはミニに詳しい方ならわかる方なんでしょうね。
この功績のためか、ミニのパーツの一部に彼の名前が冠されたものがあるようです。
おかげで日本語もわかりました。パディ・ホプカーク(もしくはホップカーク)と読むようです。
こんなサイトも参考にしてみました。
MINI.jp(ミニの日本語版HP)
http://www.mini.jp/mini.html
さすが、ミニのHP。当時のモンテカルロのことも書いています。
で、このホプカーク氏。いまだご健在のようで、ミニの50周年の企画かなんかで新しい車で改めてモンテを走る、っていう動画に出ていらっしゃいます。
アクセスが集中するのか、時々再生されません。その時はあとで再生してみてください。
同じミニに乗っているもう一人の方は、ラウノ・アルトネン。1967年の優勝者だそうです。
私のラリーの知識、っていうのはラリー・ジャパンが始まる2004年のちょっと前くらいからで、1960年代となると全くわかりません(;^_^A。
「俺たちは天使だ!」というのは1979年の作品です。その時は例えば当時のラリーファンやミニのファンの方に有名なことだったんでしょうかね?まわりに貼ってあるステッカーがガチなので、おそらくそのホプカークのステッカーも本物だとは思うのですが、スタッフの中に詳しい人がいたのかなぁ?
ステッカー自体のでどころまでは調べることは出来ませんでしたが、何かしらのこだわりがあって貼られたものなんでしょうね。
ナビさんの夢…ステッカー1枚ですが、私にはなんかそれが現実にも見えてくる1枚です。どうでも良いことかもしれませんが、ラリーファンであり俺天のファンでもある私としてはこれほど嬉しいことはないのです。
まぁ当時は世界的なラリー大会が日本で行われるなんて夢みたいな話だったでしょうがね。でも今1979年版と同様の「俺天」がつくられたら、ラリー・ジャパン出場が夢になるのかなぁ?
そうそう、そのモンテカルロ・ラリー。今年もインターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(Intercontinental Rally Challenge、IRC)のシリーズ初戦として1月18日~23日に行われます…あ、始まってる(^^;)
公式HP(英語)
ACM >> Automobile Club de Monaco
http://www.acm.mc/ramc/ramc_main.php?page=2010/presentation_2010.php&lng=en
IRCのHPではリザルト・動画も楽しめますよ。
IRC Intercontinental Rally Challenge(英語)
http://www.ircseries.com/html/Default.asp
Posted by いこう斎 at 00:27│Comments(6)
│テレビ番組(古いのも)
この記事へのコメント
ラウノ・アルトネン とは、1981年のサファリラリーで
シェカー・メッタ(日産バイオレットPH10?) と優勝を争った人ではありませんか?
乗っていたメーカーは、思い出せませんが、学生の時、雑誌で見た記憶が…
シェカー・メッタ(日産バイオレットPH10?) と優勝を争った人ではありませんか?
乗っていたメーカーは、思い出せませんが、学生の時、雑誌で見た記憶が…
Posted by 熊雄 at 2010年01月19日 10:39
>熊雄さん
どうやらそのようですね。
なんとなくどこかで聞いた名前だな、とは思ったんですが、際限なくなりそうで今回のエントリーではホプカーク氏のことのみに触れました。
詳しい資料がこれまた探せなくて(^^;)、とりあえず英語版のウィキペディアを載せておきます。(日本語では「アルトネン」の場合と「アルトーネン」の場合があります)
Rauno Aaltonen - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Rauno_Aaltonen
どうやらそのようですね。
なんとなくどこかで聞いた名前だな、とは思ったんですが、際限なくなりそうで今回のエントリーではホプカーク氏のことのみに触れました。
詳しい資料がこれまた探せなくて(^^;)、とりあえず英語版のウィキペディアを載せておきます。(日本語では「アルトネン」の場合と「アルトーネン」の場合があります)
Rauno Aaltonen - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Rauno_Aaltonen
Posted by いこう斎 at 2010年01月19日 20:07
はじめまして。
「パディ・ホップカーク」をググってたら偶然こちらのサイト見つけました。
さて、問題の「STATS PADDY HOPKIRK」のステッカーの件ですが、おそらく彼(ホップカーク)のMINIのカスタムパーツブランドのステッカーだと思われます。
私が乗っていたMINIにも、彼のブランドのアクセルペダルとバッケットシートを組んでいました。
昔私の手元にあった英国版のMINIの資料によると、彼は小さなMINIに乗せられてラリーに出されたたことが不愉快で、「嫌がらせの拷問だ!!」と文句ばかり言っていたようです。
ところがいざ走ってみると、MINIの見た目に似合わない軽快な走りに惚れ込んでしまって、自分でカスタムパーツブランドを立ち上げてしまったようです。
また、その資料によるとタック・インを初めて編み出したのも彼パディ・ホップカークだと記されていました。
実は、今回この事実を確かめるために彼の事を調べてるのですが、なかなか証拠となる記述を見つけられないでいます(^^;)
「パディ・ホップカーク」をググってたら偶然こちらのサイト見つけました。
さて、問題の「STATS PADDY HOPKIRK」のステッカーの件ですが、おそらく彼(ホップカーク)のMINIのカスタムパーツブランドのステッカーだと思われます。
私が乗っていたMINIにも、彼のブランドのアクセルペダルとバッケットシートを組んでいました。
昔私の手元にあった英国版のMINIの資料によると、彼は小さなMINIに乗せられてラリーに出されたたことが不愉快で、「嫌がらせの拷問だ!!」と文句ばかり言っていたようです。
ところがいざ走ってみると、MINIの見た目に似合わない軽快な走りに惚れ込んでしまって、自分でカスタムパーツブランドを立ち上げてしまったようです。
また、その資料によるとタック・インを初めて編み出したのも彼パディ・ホップカークだと記されていました。
実は、今回この事実を確かめるために彼の事を調べてるのですが、なかなか証拠となる記述を見つけられないでいます(^^;)
Posted by 元MINI乗り at 2010年03月12日 18:56
>元MINI乗りさん
始めまして!情報ありがとうございます!
MINIに関してはあまり情報を持ってないもんで大変助かります。
パーツの方でもホプカーク氏のお名前がついているのは調べてわかったんですが、そのステッカーなんですね。
タック・インという言葉も最近では常識的に使われますが、それもホプカーク氏が初めてだったとは…
私も色々ググったんですが、ありそうでなかなか資料が見つからないんですよね。
もしかすると外国語のサイトに詳しいものがあるかもしれません。
私は苦手なので放棄しましたが(^^;)
いい資料が見つかると良いですね。
始めまして!情報ありがとうございます!
MINIに関してはあまり情報を持ってないもんで大変助かります。
パーツの方でもホプカーク氏のお名前がついているのは調べてわかったんですが、そのステッカーなんですね。
タック・インという言葉も最近では常識的に使われますが、それもホプカーク氏が初めてだったとは…
私も色々ググったんですが、ありそうでなかなか資料が見つからないんですよね。
もしかすると外国語のサイトに詳しいものがあるかもしれません。
私は苦手なので放棄しましたが(^^;)
いい資料が見つかると良いですね。
Posted by いこう斎 at 2010年03月12日 21:20
お返事ありがとうございます。
私も英語はからっきしダメです(笑)
以前持ってたMINIの資料は、英国版とは言っても和訳された物でしたし。
おっしゃる通り、どういう訳かWeb上ではホップカーク氏の資料が見つからないんですよ。
Wikipediaの記事もこちらで初めて見つけたぐらいです(どおりでカタカナではヒットしなかった訳だ)
私の資料では、ホップカーク氏はアルトーネン氏ようにMINI以降の記録がありませんでした。
あくまで憶測なのですが、ホップカーク氏はMINI以降はラリー活動をしていなかったのではないかと思います。
それに当時のラリーでは、ドライバーズタイトルがなかっために記録が残っていないのではと…。
一方アルトーネン氏は、66年のモンテカルロ(ドライバーはマキネン氏)でのライトのレギュレーション違反による優勝取り消しの汚名を67年の優勝で返上した本人ですし、MINI以降もニッサンのワークスで活躍されてましたから、日本でも馴染みがあるため記録が残ってるのではないかと思ってます。
タック・インの件ですが、私の資料は英国で出版されたMINIの資料のた、めかなりMINI贔屓に書かれていました。
ですから少し眉唾物のイメージがあるんです。
でもMINIが始めてモンテカルロに投入されて、ホップカーク氏がタック・インを駆使して優勝を飾った64年当時(確かこの年が発投入)はFF車はかなり稀でしたし、私の乏しい知識では当時ラリーで活躍したFF車は、MINI以外はMINIと入れ替わるように登場したランチア・フルビアHFくらいです。
この事実もあるので、強ち眉唾とは言い切れないもと思って調べています。
因みに、実体験ですがMINIは確かに異常なほど雪道に強い車でしたよ。
長文で失礼しました。
私も英語はからっきしダメです(笑)
以前持ってたMINIの資料は、英国版とは言っても和訳された物でしたし。
おっしゃる通り、どういう訳かWeb上ではホップカーク氏の資料が見つからないんですよ。
Wikipediaの記事もこちらで初めて見つけたぐらいです(どおりでカタカナではヒットしなかった訳だ)
私の資料では、ホップカーク氏はアルトーネン氏ようにMINI以降の記録がありませんでした。
あくまで憶測なのですが、ホップカーク氏はMINI以降はラリー活動をしていなかったのではないかと思います。
それに当時のラリーでは、ドライバーズタイトルがなかっために記録が残っていないのではと…。
一方アルトーネン氏は、66年のモンテカルロ(ドライバーはマキネン氏)でのライトのレギュレーション違反による優勝取り消しの汚名を67年の優勝で返上した本人ですし、MINI以降もニッサンのワークスで活躍されてましたから、日本でも馴染みがあるため記録が残ってるのではないかと思ってます。
タック・インの件ですが、私の資料は英国で出版されたMINIの資料のた、めかなりMINI贔屓に書かれていました。
ですから少し眉唾物のイメージがあるんです。
でもMINIが始めてモンテカルロに投入されて、ホップカーク氏がタック・インを駆使して優勝を飾った64年当時(確かこの年が発投入)はFF車はかなり稀でしたし、私の乏しい知識では当時ラリーで活躍したFF車は、MINI以外はMINIと入れ替わるように登場したランチア・フルビアHFくらいです。
この事実もあるので、強ち眉唾とは言い切れないもと思って調べています。
因みに、実体験ですがMINIは確かに異常なほど雪道に強い車でしたよ。
長文で失礼しました。
Posted by 元MINI乗り at 2010年03月13日 06:13
>元MINI乗りさん
考えてみれば、詳しいはずの英語版ウィキペディアでもホプカーク氏に対してあの容量というのは少ないなぁ、とは感じていたんですが、実績がないと表記しようがないですもんね。
現在でもご健在、というのが唯一の現在の情報とも言えなくはないですね…
考えてみれば、詳しいはずの英語版ウィキペディアでもホプカーク氏に対してあの容量というのは少ないなぁ、とは感じていたんですが、実績がないと表記しようがないですもんね。
現在でもご健在、というのが唯一の現在の情報とも言えなくはないですね…
Posted by いこう斎 at 2010年03月13日 22:43
スパム対策のため、コメントは承認後掲載させていただきます。ご了承ください。